2020年3月30日厚生労働省記者会見

2020年3月30日厚生労働省記者会見

国公一般労働組合で執行委員長をしております川村です。3月9日にも、この場所で記者会見をおこないまして、2016年4月から国立ハンセン病資料館と重監房資料館、それから各地の社会交流会館(以下、社会交流会館)の運営を受託しておりました日本財団が来年度、2020年度の入札には加わらず、一般競争入札の結果、この4月から笹川保健財団(以下、保健財団)が受託することになりました。

保健財団は受託業務実施に先だって、採用試験を実施するとしたわけですが、資料館では当該組合員の3名を排除するハラスメントがおこなわれておりまして、選別作業がおこなわれるという懸念もありますから、厚生労働省(以下、厚労省)に対して雇用問題が発生しないように要請をしまして、こうした経緯について3月9日に(記者会見で)ご説明申し上げたところです。

3月23日付で採否の通知がおこなわれまして、私たち労働組合の2人──稲葉分会長と分会員のAさん──が不採用となりました。稲葉分会長は18年間、Aさんは約3年半、資料館に勤務してきた経験ある学芸員ですが、この2名の不当解雇となったわけです。

日本財団は、私たちとの団体交渉で来年度応札しない理由について、資料館運営に関わるマネージメントや管理業務の負担が増えていくと、モーターボート競争法に影響が出てくる、だから受けないんだと述べました。同時にハンセン病対策の実績がある保健財団に応札をお願いした、と明確に回答いたしました。

保健財団は日本財団の創始者である笹川良一氏が作った財団です。本日厚労省に要請をおこなった際、厚労省は館長、事務局長、事業部長、この3名は4月以降も同じ人が継続をすることを明らかにいたしました。こうした経緯を見ると、系列の財団に受託先を変更し、労働組合潰しのために分会長を含む組合員2名を排除、解雇した不当労働行為であることも明白だと思います。

人権とは何かを考え、差別偏見をなくすためにつくられたハンセン病資料館で、労働組合の組合員を差別し、排除することがあっていいのか、これで国立ハンセン病資料館の受託者としての責任をまっとうできるのか、大変な問題だと思います。

先ほど申し上げましたように、約18年間という長期にわたって勤務してきた稲葉分会長は、それまで入所者の人たちが作り上げてきた資料館において、初めて学芸専門職員として採用され、この間、活動してきた人です。当事者とともに資料館を発展させてきた学芸員、誰よりも長いキャリアをもち、豊富な知識と経験によって多くのハンセン病回復者、全療協を始めとする団体等とも深い繋がりをもってきた職員を排除したことは、資料館の専門性、継続性からも許されるものではありません。

また、Aさんは館長から受けたセクハラ、パワハラを勇気を持って告発したわけですが、(今回の不採用は)その口を封じる暴挙でもあります。この点は、本日厚労省へ対しても要請で申し上げたところですが、厚労省としても先ほど申し上げた3人に対するハラスメントについて、ヒアリングをおこなっています。ですから、この問題については厚労省も承知をし、把握をしていたわけで、ある意味予見できた状況のなかで選別、排除、解雇がおこなわれたということになるわけです。この点、ぜひご理解いただければと思います。

保健財団に対して3月25日に今回の不採用の理由を開示すること、不採用通知を撤回して資料館で雇用するよう、団体交渉の実施も含めて要求しましたが、3月27日に使用者の立場にないとして、これを拒否してきました。

繰り返しになりますが、ハンセン病資料館という差別偏見をなくすために国民の皆さんに情報を発信する施設のなかで、差別と排除がまかり通っていいのか、ぜひ考えていただきたいと思いますし、職場復帰を求める私たちの闘いにご理解とご支援をいただけますように、あるいはこの点について、国民に広く周知いただけますように、よろしくお願い申し上げます。

 


(写真/黒﨑 彰 以下同 禁無断転載)

(稲葉)
国公一般国立ハンセン病資料館分会の分会長を務めております、稲葉上道と申します。私は2002年5月、当時は高松宮記念ハンセン病資料館といっておりましたが、最初の学芸員として採用されました。それから今日まで、約18年間、学芸員として勤めてきました。自分でも生涯をかけるに値する仕事だと思ってやってきましたし、幸いこれまでにハンセン病回復者を傷つけたり、信頼を裏切ったりすることは──自分で気づいていないだけかもしれませんが──あまりなくやってこられたのではないかと思っています。

現在は資料管理課というところにひとりでおりまして、収蔵庫の増築の準備、それから所蔵している資料の整理、あるいは各園にある社会交流会館との協力、それと文書資料の調査、館内の虫菌害対策などの業務をおこなってきました。こうした仕事は、あまり表に出てくるものではありませんので、比較的地味な仕事と言えますが、博物館施設である資料館には不可欠なものですし、館としてもかなり大きな仕事だと思っております。

そういった仕事を担ってまいりましたが、今回、不採用ということになったわけです。今後こうした仕事が4月以降、滞りなく進めていけるのか、ということについては非常に大きく危惧をしています。

前回の記者会見でも、なぜこの分会(組合)をつくったかという経緯について、少しお話しましたが、私個人の話としましては、私に対する人権侵害が始まったのは、2016年2月のことです。最初は語り部をしていた回復者の方が、毎日のように私の悪口を聞こえよがしに館内で話すということがありました。

それがだんだんエスカレートしていって、厚労副大臣、運営企画検討会の参集者、弁護士さん、あるいは厚労記者会に、私を解雇させる意図で手紙を出すということが始まりました。入所者自治会の機関誌に私を誹謗中傷する文章を投稿する、園内に向けて私を非難するコメントを放送するなどして、今日まで侮辱や名誉毀損をくり返してきました。この回復者の背後には、嘘を吹き込んで私を攻撃するよう仕向け続けていた、3人の資料館職員の存在がありました。

こうしたことが一向に止まないので、私はこの人権侵害を止めてくれるよう、館長に何度か相談しましたが、「我慢するように」と言われるだけで、何も対処はしてもらえませんでした。

そこで2017年2月、私を雇用している日本財団の内部にある、ハラスメント委員会に申し立てをおこないました。しかしハラスメント委員会も一向に結論を出さず、私の申し立てを放置し、1年9ヶ月後の2018年11月になってようやく、「当該語り部はハラスメントに近いが、日本財団と雇用関係がないので止めさせられない。3人の職員については判断できない」との結論を伝えてきました。この間、時間だけが過ぎて、私に対する人権侵害は続きました。

一方で、私(当時は学芸課長)と当時の学芸部長、および事務局長を館長が敵視する、という状況も進行していました。「館長なんてお飾りだと言っている」「結託して館長を追い落とそうとしている」などの嘘を、館長に吹き込む、日本財団の職員がいたからです。

それを信じた館長が日本財団の幹部に指示したために、2018年3月、私と学芸部長、事務局長は、人事異動という形で追放されました。私は資料管理課という新設の、私以外課員のいない部署に異動となりました。また館長は、他の職員の前で日常的に私の人格を否定することも言いましたし、「稲葉と一緒に仕事をするな」「稲葉に資料を渡すな」といった指示も出しました。

2019年1月と4月には、全職員を集めた館長訓示で、私を含む気に入らない職員を暗示して、恫喝をおこなっています。日本財団はこのような館長を諫めるということもせず、むしろ意向を無批判に受け入れて、本来館長の権限ではないはずの人事異動や予算執行についてまで、その指示にただただ従い続けてきました。

こうした語り部の方、館長、日本財団の態度を見て、職員の間にも長いものに巻かれようとする人たちが増えて行きました。ここにいる2人のように、その行動を諫めたり異を唱えたりする職員は館内にはいなくなり、それどころかこれに乗じて私を攻撃しようとする者まで現れるようになりました。

学芸員たちは、館長に気に入られていない私やここにいる2人に対し、学芸員として当然知っておくべき事業に関する情報を流さない、仕事を取り上げる、打ち合わせに呼ばない、言いがかりをつけて上司から注意させるなどの、排除やハラスメントを行いました。

2019年3月には、私と前学芸部長が資料館を不在にしているタイミングで、学芸員が全職員を集め、誤りとも呼べないようなものまでを誤記ということにして、「常設展示図録に大量の誤りが見つかりながら、稲葉と前学芸部長はそれを放置した」と説明しました。

2019年4月には事業部長、学芸員たち、参与、運営委員の1人が、私と前学芸部長を雇い止めにする相談をする、ということまで起こりました。

このように、国立ハンセン病資料館は対外的には人権尊重を謳っていながら、館内では人権侵害が日常的に行われる異常な状態にあります。私は日本財団による資料館運営の姿勢にも疑問を感じましたし、このままでは資料館の社会的な信用や価値が失われると、大きな危惧を覚えました。

日本財団は、全国の社会交流会館の学芸員が精神的に疲弊し出勤できなくなっても、問題を抱えた者が悪いのだ、という態度で、助けることもなく辞めるに任せていました。働くための基本的な仕組みも用意しませんでした。こうした状態を改善するには、もはや個人ではどうしようもなく、2019年9月、私たちは労働組合を結成したわけです。

今日までに日本財団と6回の団体交渉をおこなってきました。しかし日本財団は、館内にあるセクハラ、パワハラ、排除といった人権侵害の改善に努めようとしないばかりか、その存在すらも認めませんでした。

そして今回、日本財団の関連団体である笹川保健財団が受託者となったのを機に、2020年3月23日、私とここにいる組合員(Aさん)の2名を不採用にし、不当解雇と、労働組合を潰そうという不当労働行為に及びました。私は人権侵害を止めてもらいたいと訴え、また自ら改善に取り組んだために、約18年間勤めてきた仕事を奪われることになったわけです。

私がこの4年間、いくつもの人権侵害に耐えて資料館に勤め続けてきた理由は、ハンセン病回復者が必要だと思い、自ら作り出し、維持してきたハンセン病資料館の存在意義や価値を守ることが、あの資料館に勤める学芸員の使命だと考えてきたからです。世の中にはハンセン病問題への様々な関わり方があると思いますが、学芸員としての関わりかたというのは、まずもってハンセン病回復者からお預かりしている、あの資料館を守ることです。

関わった以上、それは私個人の欲求よりも、優先されるべきものだと思っています。私はこのことを体調不良や心ない声にも負けず、毎日毎日地道に資料館を支え続けた、故・佐川修さん(多磨全生園・元自治会長)の姿勢から学びました。佐川さんが守ってきた資料館を守る立場にもう一度戻ることを、私は強く希望しています。不当解雇を撤回させ、復職できるよう、みなさまのご支援、ご協力をお願いいたします。

 

(A)
私も3月23日の不採用通知をもって、今年度末で国立ハンセン病資料館を退職することになりました。私は2016年、国立ハンセン病資料館に学芸事務(派遣社員)として勤務を開始しました。その後2017年夏に学芸員の公募があった際に応募をしまして、学芸員として採用されることとなりました。

経験が浅かったこともあり、資料館館長であった成田稔氏にお話を聞く機会も多くありました。成田館長は国立療養所多磨全生園で長年にわたって園長を務められてきた方で、現在は全生園の名誉園長、そしてハンセン病資料館の館長という立場にあります。学芸部学芸課の課長(当時)であった稲葉さん、他の学芸員の方からも教えを請いながら、仕事をしてまいりました。

成田館長から私に対するセクハラが始まったのは、2018年春のことです。館長は現在92歳と大変ご高齢であり、お耳も遠くなっています。そんなこともあり、お話をうかがう際には、どうしても接近せざるを得ません。前々から手を握ったりということはあったんですが、2018年の春くらいから「マンツーマンで仕事をしよう」「今までなかった学術課という部門をあなたのために新設するので、そこでひとりで研究に専念するように」といったことを言われるようになりました。

私は学芸員として採用されましたので、他の学芸員と協力しながら学芸業務をおこなっていくのが、仕事の本分と考えていました。ですから、まったくひとり、周囲の学芸員から孤立するかたちで勤務しなさいと言われ、非常に困惑しました。仕事の内容は、館長から指示された内容を調査することだと言われましたが、具体的な内容をうかがうと、ひとりではとても調べきれないような内容の調査であり、私自身の専門分野とも異なっています。私は学芸員本来の仕事をしたいです、とお伝えをしましたが、その声が聞き入れられることはなく、セクハラも腿を触ったりと、エスカレートしていきました。

お話を聞く場所は、館内にある館長室がほとんどでしたが、そこですと他の職員が入ってくることもあります。そこで学術課を新設した際には2階図書室の書庫、そのさらに奥にある部屋に席を用意すると言われました。その部屋は図書室の司書の方が、ときおり執務をおこなったりする場所で、ほとんど人の出入りがありません。

館長は、その部屋に席を移動しろ、自分が来るときには、かならずその部屋にいるように、と言われました。とても不快に思いましたし、どうしていいかわかりませんでした。学芸員として採用されて、まだ日の浅い私が(セクハラに対して)「先生、やめてください」と言ったときに、どんなことになるだろうかと。

館長が、私にお話をされる際、他の職員に対する暴言を吐く機会が、たびたびありました。その内容は、たとえば稲葉とは口をきくな、田代と一緒に仕事をしたら馬鹿な女だと思われる、といったものです。2018年1月4日の館長訓示では、自分に逆らった者には痛い目を見せる、といった発言もありました。

2018年の秋ぐらいからは執拗に、2階の図書室書庫の奥へ行け、とにかくあの部屋にデスクを移せ、と言われるようになりましたので、上司である事業部長、兼事業課長に相談をしました。また、それ以前に日本財団にも「館長の指示は、本来の仕事内容ともずれています。このまま館長が言っていることに従うべきなのでしょうか」と相談をしました。そのときの日本財団からの回答は「館長の命令は絶対なので、館長の言うことに従ってください」というものでした。

人目のないところで館長とふたりきりになる、他の学芸員との協働もない状態で仕事をしていくことは何としても避けたい。とにかく恐ろしいと思っていました。職場でのストレスなどもあり、2018年の10月には椎間板ヘルニアを発症してしまったのですが、絶対安静の自宅療養中も館長から電話がかかってきました。薬を自宅に届けさせるから、とのことでしたが、度を超していると感じましたので、やめてください、自宅で安静にしていますので、とお断りをしました。

症状が回復に向かったので、2018年11月半ばに資料館に出勤する機会がありました。その頃には館長からのセクハラをなんとかしないと自分は壊れてしまう、と思っていましたので、館長に「先生がおっしゃるような仕事はできません。2階にも移動はいたしません。仕事の内容も承服致しかねます」と、お伝えをしました。すると館長の態度が豹変して「辞めろ、辞めちまえ、辞めさせてやる」と言われ、それまでのセクハラがパワハラに変わりました。

それまで他の学芸員から孤立させ、他の学芸員の悪口もさんざん聞かされてきましたが、ここからは私に対する暴言、パワハラが始まりました。「他の学芸員は、あんたなんかと仕事をしたいと思ってない」「あんたは他の人から決して好かれてない」「誰があんたと仕事をしたいと思うか」館長は私に対して、このような発言をおこないました。

私へのセクハラ、パワハラ、それから稲葉さんに対するパワハラに関してもそうですが、館長が特定の職員を排除しようとしていることに対して、他の職員は異を唱えることはしませんでした。むしろ、館長の意向に積極的に倣うかたちで、私たちに対する排除をおこなってきました。それまでも孤立していると感じることはありましたが、それがさらに強まると同時に、さまざまな妨害行為も起こってきました。

その後、椎間板ヘルニアが再度悪化したことで2019年の年明けまで休業を余儀なくされました。2019年年明けの館長訓示では「たとえ館長を辞めても、気に入らない学芸員を地方へ飛ばす。そのために次の館長に指示をする」といった発言がありましたし、(2019年4月)年度始めの館長訓示では「私の意に沿うこと、気に入ることをしろ。学芸員なんて辞めてもいくらでも代わりはいるんだ」という恫喝もありました。

2019年4月17日には、厚労省難病対策課の課長、課長補佐、ならびに国立ハンセン病資料館運営委員会の委員である弁護士、この3名による学芸員を対象としたヒアリングがありました。その場で私は、成田館長からのセクハラ、パワハラについて、詳細にわたって報告をしました。ヒアリングは他の学芸員に対してもおこなわれたわけですが、その結果報告をする機会は、ずっとありませんでした。問題があってヒアリングをおこなったにも関わらず、その間、問題は放置されていたわけです。

回答があったのは2020年2月8日のことです。厚労省難病対策課の課長補佐と運営委員である弁護士から、職員全員に対してヒアリングの結果報告がありましたが、私が訴えたセクハラ、パワハラについての言及は一切ありませんでした。

今回私は不採用となったわけですが、館長は4月1日以降も替わらず続投する、という判断を厚労省はおこなったわけです。今まで団交を6回重ねてきたなかでも、私はセクシャルハラスメントの事実について日本財団に訴え、調査を求めてきましたが、そこで言われたのは「他の職員に聞き取りをしたところ、Aさんに対する館長のセクハラを見聞きした人はいない。逆に『Aさんが館長の身体を触っているのを見た』という声があった」ということです。

セクハラは多くの場合、密室でおこなわれるものです。私も館長とふたりきりになった状態で腿を触られるなどのセクハラ被害を受けました。密室ですから、誰も見ていなくて当然です。勇気をもって告発した職員に対して「逆にあなたが館長をセクハラしているんじゃないですか」と言える神経を疑いますし、資料館の館内でもっとも権力をもっていて、なおかつ「学芸員を辞めさせることも可能なんだ」と恫喝するような人物に対して、どうして私がハラスメントをおこなえるというのでしょうか。

ご高齢(92歳)のために歩行が困難、お耳も遠い、そんな方を横から支えることがあったとしても、何がいけないというのでしょうか。そのことをあげつらって「逆に館長がセクハラをされていたんだ」と言い募る人がいる。本当に理解に苦しみます。

組織の自浄作用がない以上、内部から声をあげるだけでは何も変わりません。人権問題を扱う資料館で、このようなことがあってはならない。私たちだけでなく、ここで働く多くの職員が安心して、正常な状態で働けるようにしたい。そんな思いから、私たちは2019年9月に労働組合をつくりました。けれども、正常化を訴えた組合員のうち、2名──分会長の稲葉さんと私──が不採用となり、正直なところ、今はどうしたらいいかわからない状態です。

資料館を正常な状態に戻し、職場に復帰して学芸員本来の仕事ができるようにしたい、というのが現在の私たちの要望です。

(川村)
国立ハンセン病資料館で現在働いている学芸員は8名です。今回2人が不採用となっていますので、4月1日から学芸員は6名になるわけです。厚労省にどうするのかと聞きましたところ、2人不足しているので早急に充足しなければならない、ということを言うわけですが、私どもが強調して指摘しましたのは、稲葉分会長は資料館の課長として長年業務に携わってきたという経緯があります。現に今、資料館では収蔵庫の建設が進んでいますし、膨大な資料の選別、整理、保管という仕事もあるわけです。全国にある社会交流会館の学芸員からの問い合わせもあるでしょう。そういった質問にも的確に答えてきた人を失って、どうするというのか。

単なる数合わせではなく、専門性、継続性が問われているんですよ、と言いましたが、厚労省の担当補佐は何も明言しません。非常に無責任であると思います。今まさに家族訴訟も含めて、ハンセン病の課題を国民に向けてアピールをし、人権侵害・差別をなくしていく、そういったスタンスに立たなければならない厚労省が、その立場に立っていない。あらためて要請をした次第です。

 

〈質疑応答〉

──今回(2名の組合員に関して)契約が更新されなかったということですが、これは制度的に瑕疵があるのでしょうか。

(稲葉)
今まで私たちを雇っていたのは日本財団でした。日本財団からは2019年2月28日付で、自分たちの受託が終わるので、皆さんの雇用も継続しませんという通知がきました。この点では一ヵ月前の告知なので、問題はないと言えます。

次に次年度の受託者である保健財団が採用試験をおこない、その結果、私は不採用になったわけですが、なぜ不採用になったのかという具体的な理由については、問い合わせても答えがないという状態ですので、理由はわかりません。

保健財団としては今回、新規雇用という形を取っていますので、雇用しなかった者に対する説明はしない、ということでした。制度的にはそうなるのかもしれませんが、これは到底納得できることではありません。

これは前々から言われていることですが、受託の1年更新という問題点が、今回あらわになったのだと思っています。実態としては、日本財団と保健財団は一体でしょうから、そこのところも雇用の継続がなされないという点で問題があると思います。

(大門書記長)
日本財団が4年間受託してきて、そのあと業務が保健財団という別の組織に移った。そこで保健財団が採用試験をおこなって採用しなかった。形式的に見れば、一見違法ではありませんが、保健財団というのは、元々日本財団がつくった財団で、現在も日本財団から多くの助成がなされている。このような事実関係を見ると、ふたつの財団は事実上一体であると言えるわけです。

一見適法のように見せて(特定の職員を)排除したいがために受託の承継という形をとり、採用試験を口実に切ったのではないか、というのが私どもの主張です。日本財団に聞くと不採用の理由は、我々はもう受託者ではないので、現在の受託者である保健財団に聞いてくれと言いますし、厚労省も笹川保健財団の判断したことなのだから、保健財団に聞いてくれと言い、当事者である保健財団も不採用の理由については答えないという立場をとっている。たらい回し状態になっています。

──館長、事務局長、事業部長が今年度も同じ人であるという事実をもって、実質運営は同じであると言えないのでしょうか。

(大門)
私たちは実質的に同じである、という主張をしています。

(川村)
館長、事務局長、事業部長の3人は、厚労省の健康局長との協議が義務づけられています。これは入札の仕様書にも、その旨記載されています。したがいまして、厚労省も、こうした決定に関与していると言えるわけです。おっしゃるように、同じ組織運営であると判断されても否定できないと思います。

──館長というのは日本財団の職員なんでしょうか。

(稲葉)
館長も受託者が雇用しています。資料館職員には、元々日本財団の職員として雇われていて、資料館に出向してきている人と、我々のように資料館を日本財団が受託したので資料館の職員として日本財団に雇われている人、大きく分けてこの2種類の職員がいます。

(A)
私たち学芸員は単年度契約の嘱託職員で、1年ごとに受託者と契約をするという形になっています。

──資料館の職員は何名いるのでしょうか?

(A)
25名ほどです。

──そのうち日本財団のプロパー職員は何名ですか。

(稲葉)
日本財団本体から来ている人は2名ですが、笹川平和財団、笹川保健財団から出向という形で日本財団へ行き、そこから資料館に来ている人もいます。その人たちを全部合わせると(2019年度末時点で)5名ということになります。

(A)
単年度契約の嘱託職員として日本財団と契約しているのが、現在14名。それ以外の6名は派遣社員、および業務委託ということになります。

──今後についてですが、第三者機関に訴えていくことは、お考えでしょうか。行政訴訟、労働委員会への申し立てなど、という意味ですが。

(川村)
今、弁護士とも相談をしているところですが、不当労働行為として東京都の労働委員会に訴えることになると思います。それから仮処分か本訴なのかは別にしましても、いずれにしても裁判で闘っていくということを検討しているところです。

──目処としては、どれくらいの時期とお考えですか。

(川村)
少し推移といいますか、状況を見ていかなければならないと考えています。現在まで保健財団は、今回の採否における不採用の理由を示さないとしていますが、この点についても団体交渉で明らかにするよう交渉していきます。そのなかで不採用の理由を明らかにしていく。そういったことをやりながら、労働委員会にも訴えをし、裁判も進めていく。このように考えています。

──館長についてですが、この方の選定の経緯は、どのようになっているのでしょうか。保健財団の方で決めているのか、どういう経緯で館長に選ばれ続けているのか。

(稲葉)
受託者が館長、事務局長、事業部長を決めて、その人事案を厚労省に対して示して承認を得るという形になっています。受託自体が1年更新ですので、毎年受託者が決め直しているということになります。少なくとも形式上は、ということですが。

──ということは、その人たちが選ばれた経緯というのは、日本財団のなかでしかわからないということでしょうか。

(稲葉)
そうです。館長に関しては、日本財団が受託する前の受託者のときから館長職にありましたので、今までも問題がなかったので、そのままお願いをしましょうというくらいのことだったと思います。この数年、問題が出るようになってきて、それを訴えても館長を替えないということについては、なぜなのかは、わかりません。

──とくにどこかから推薦されているということではない?

(川村)
本日、厚生労働省にも「なぜセクハラをおこなっている館長が館長職を続けるのか? 問題はないのか?」という話をしましたが、保健財団から、このメンバーでいくという人事案が提示され、それを問題ないとして(厚労省が)承認をしたということでした。館長自身の問題については、もう辞めさせろという声もあるし、続けろという声もある、そういう回答でした。

──Aさんにうかがいたいんですが、先ほどお話いただいたセクハラについては、かなり深刻なものだと思います。これをヒアリングで訴えても認められなかったということですが、その理由は開示されているのでしょうか。もし理由が明かされてないとすると、組織的に問題があると思うのですが。

(A)
館長がこう言いました、あるいはこう言っていますというような報告は(資料館職員、ヒアリングに立ち会った人も含め)一切ありませんでした。ヒアリングのあと、本財団内にハラスメント委員会というものがあるので、そこに相談してみては、と紙を渡されたことはありましたが、それだけです。

そのときすでに稲葉さんがパワハラをハラスメント委員会に対して訴えたものの、まったく回答がないということも知っていましたし、「自分に逆らった職員は解雇する」というようなことを館長からも言われていましたので、私は、そのときはハラスメント委員会に訴えるということはしませんでした。

日本財団は館長からヒアリングもした、指導もしたと厚労省に対して言っているようですが、そのような事実については今日厚労省への申し入れをした際に、初めて聞いたという状況です。

──ヒアリングの際、セクハラについてお話をしたそうですが、その告発を受けて厚労省あるいは調査機関からの事実認定は、あったのでしょうか。

(A)
まったくありません。(*セクハラ、パワハラはなかったという公式見解)

──稲葉さんにおうかがいします。最初、回復者の方と問題が起きてきたということですが、具体的にはどのような経緯があって、そういった問題が起きてきたのでしょうか。

(稲葉)
私が、その回復者がやりたいと言っている事業に関して、稲葉が反対している、邪魔しているという嘘を吹き込む人がいて、回復者の方がそれを信じるようになってしまったというのが、そもそもの発端です。繰り返し言われることで嘘を刷り込まれたといいますか、そんな感じだったのかなと思います。その回復者の方も今年92歳で、ご高齢です。そういった事情はありますが、まわりでそれを煽り続けた職員がいたというのが、一番の問題だったと思います。

──館長の訓示で、これほど圧迫的な話が出ているということ自体驚きですが、この館長発言は問題にならなかったのでしょうか。他の職員の人たちの反応は、どういったものだったのでしょう。

(A)
同様の発言があった年頭訓示は複数回ありましたが、そのうちの1回は厚労省の課長、課長補佐も立ち会っています。団体交渉の場でも厚労省の課長、課長補佐立ち会いの場で、このようなパワハラ発言があった、これでいいのだろうかというお話をしましたが、日本財団からの回答は「他の職員の皆さんは、そんな発言があったことは記憶していないようだ」「他の職員は、そんなふうには受け止めていない」といったものでした。

(稲葉)
館長訓示の内容に関して問題だと言ったのは全療協だけで、館内の職員も含め、さしたる反応はなかったというのが、正直なところです。

──お話をうかがっていると今回の問題には、館長の人柄が大きく関係しているように思われるのですが、そのあたりについては。

(稲葉)
そう思います。大変残念ですが、お年を召しすぎたということもあるかと思います。

(A)
本来であれば館長がおこなっている人権侵害を止めたり、是正したりというのが、受託者である日本財団の責務であると思います。同時に、そういった館長の行動に対して「それはよくないのではないか」と、ともに声を上げるべき他の職員たちが、館長の言動に加担し、私たちを排除しようとする。そのなかで、私たちはつらい思いを強いられてきたわけです。

 

──今後、裁判に訴える際、何を理由に裁判を起こそうと思われていますか。

(川村)
正式には地位確認ということです。要件として入れてはいけないもので採用行為をおこなった、要するに労働組合の組合員であることを理由として排除するということであれば、これはまったくの不当労働行為ですから、これは決して認めることはできない。ここがもっとも大きな争点です。まして日本財団と保健財団が事実上、一体であるとすれば、これは許されない行為です。そこのところも明らかにするという闘いになると思います。

──日本財団から要請をして受託者を笹川保健財団に、このタイミングで替えたのは、雇い止めをせんがためのことだったのか、それとも他に理由があるのか。

(川村)
日本財団が理由として挙げたモーターボート法というものは、日本財団の基幹事業に関わるものです。モーターボート競争を本業とする日本財団が、国立ハンセン病資料館の運営受託をする理由は、そもそもまったくないわけです。その日本財団が、何か思いがあってか、国立ハンセン病資料館の運営受託をした。

受託をして2019年度で4年目になります。となると、どうしても頭に浮かんでくるのは無期転換権です。これは労働契約が更新されて通算5年を超えた場合には、労働者からの申込みによって無期労働契約に転換することができるというものですが、このルールが適用される前に受託者を変更しようと考えたのではないか。5年目に受託者変更をするのは、あまりにあからさまなので、その前年に変更をしたのではないか。

同時に、受託者が替わるタイミングで採用試験を実施すれば、労働組合をつくって告発をしている輩を排除することもできる。今回の措置は、そのように考えられるわけです。(稲葉分会長に向かって)それ以外は、ないですよね。

(稲葉)
それ以外の理由は思いつかないです。

──事実上の同一事業者であり、なおかつ契約更新が何回もおこなわれている場合には、労働者の権利として雇い止めは認められないという判例があります。今回のケースは受託者が替わったと言えるかどうかが争点になると思われますが、そのあたりについては。

(大門)
型式的には適法である、ということを向こうは主張していますが、これはそういった事例ではない、受託者は実質一体であり、違法であるというのが、我々の主張です。

(A)
これまでも何回か受託者が替わることはありましたが、採用試験がおこなわれたことは、今まで一度もありませんでした。

(川村)
採用試験が公正におこなわれたとすれば、20年近くの実績があり、これだけ有能な職員を不採用にする理由がないわけです。落とす理由があるとすれば、多面評価というものがあって、職員同士を評価させるというプロセスがありますが、これが大きく影響しているでしょう。資料館職員は現在、排除する側と排除される側に二分されていますから、排除する側は当然、排除される側の評価を下げるであろうと、当然予想されるわけです。

この多面評価についても、なぜ採用の過程でそんなことをしなければいけないのか、検討をしなければならなかったと思います。しかし、そういった機会は一切なかった。となると日本財団は、こういった問題が資料館内にあることをよく承知をした上で採用試験をし、不採用という結論を出したことになります。

白紙の状態で採用試験をおこなった場合、このようなことは起こりえないでしょう。今回排除された2人は学芸員として非常に優秀であり、不採用は4月からの資料館運営に関しても、大きな損失であると思っています。このようなことについても、これから明らかにしていきたいところです。

──今日の厚労省への申し入れについて、いつまでに回答をするといった返答があったのか、それとも今日のやりとりをもって回答とするのか。

(川村)
今日の要請内容は、お渡ししたとおりですが、口頭で回答があったものもありました。厚労省は保健財団を指導していくと回答していますが、ハンセン病資料館が大きな問題を抱えていることは、誰が見ても明白ですし、回答の内容も到底納得できるものではありません。今後も引き続き、雇用、労働条件といった問題にとどまらずに、さまざまな面から主張していきたいと思っています。